春になるとやってくる

春になるとやってくる

春になると、いつも思い出す匂いがある。 思い出そうとするまでもなく、ふと、ある瞬間、その匂いがやってくる。 今朝、その匂いはやってきた。 植物や今近くにある物理的なものから漂ってくるわけではなくて、 どこからともなくその匂いがやってくる。   その匂いに包まれる。 それはハートに響く。 そして身体の内側のいろんな部分にいろいろな感覚を呼び起こす。 その匂いに紐づいた出来事や、その時一緒にいた人のこと、感じた感情、日差し、街並み、さまざまなことがその匂いと共にあらわれてくる。 しあわせな記憶のひとつ。  ...
まるで蜘蛛の巣みたいに

まるで蜘蛛の巣みたいに

前回、書いたもの。 ほんとに安全で快適? このことを、もう少し書いてみたい。   どういう時に自分のコンフォートゾーンと出会うのかなと考えてみた。 そのひとつは表現する時。 表現というとき、それはあることだけを指していない。 知り合いと話す言葉や表情、仕事の仕方、料理や絵や言葉やなにかを創作するとき、SNSの投稿、あらゆる場と時に表現がある。 でも普段、そのことをあまり認識していない。 友だちと話している時、これは自分の表現だなんて思って話すことはあまりない。...
ほんとに安全で快適?

ほんとに安全で快適?

暦では春分の時期に入り、ようやく1年のはじまりに立ったとよろこびを感じている人もいるでしょうか。 ー写真はルッコラの花。クラシックな感じがすごく好み。   2024年がはじまってから、コンフォートゾーンから出る、という言葉がわたしの中によく出てきます。 ふとした時に、ああ今自分はその中にどっぷりといるんだなーと思う場面がいくつもある。 容姿も考え方も感じ方も捉え方も接し方も、すべてほとんど自分のコンフォートゾーン内でおさまっている、 そんなふうに感じることが、今年に入ってからいくつも出くわす。...
ちょっとだけやわらかい世界

ちょっとだけやわらかい世界

今の自分を表すとしたら。 すぐに言葉が見つかる時。 そしてどうにも言葉にならないという時。 そもそも、自分と言っても、どの自分を、どこを表現するのか。なにが表現されたがってるのか。 無理に言葉にしないこと。 それでも表現してみようという試み。 その試みから思ってもしなかったものが生まれること。   わからないものを前にした時、わかろう、理解しよう、つかもうとする。 見ようとして、聞こうとして、感じようとする。 その前のめりの自分。 ただやってくるものを、 目で受け取って、音として感じて、触れられるのをゆるす。...
「わたし」とそれ以外のもの。

「わたし」とそれ以外のもの。

時々、銭湯へ行く。 住んでいる場所の近くにはないので、少し離れたところへ行く。   え、わざわざそんなことするの? わざわざそんなところまで? など、そうゆう言い方をする人に時々会う。 わたしは反応する。 なんか気持ちよくない、聞くたびにそう感じる。 わざわざかどうかは、自分で決めるから。   話がもどり、 スーパー銭湯でなく、昔ながらの銭湯。 でっかい湯船とサウナと水風呂。もう最高。   わたしがよく行く銭湯のサウナの中で会う人はだいたい見知った顔。 わたしは誰かと喋ることはほぼなく、挨拶だけ。...
本を読むーいろんな人のいろんな意見

本を読むーいろんな人のいろんな意見

今興味が向くまま、よく本を読んでいる。 読みたい本はたくさんあって、けど、本を全然読めなくなった数年間。 そして今年になって、本に再会。 本は万人にとっての真実や正解が書いてあるのではなくて、 その人の意見や感想や体験や、その事についての現時点での理解が書いてあるのだなとおもうようになった。 それは自分が、賢人や叡智が原理や本質的なものを表現しているものを、本と呼んでいたことに気づいたし、そしてその本ももちろんこの世界にはある。 本というものにもほんとにいろんな種類のものがあるのだということがわかった、あたりまえすぎるけれど。...