わりと多くの時間を、『それが向いているのかいないのか?』問題に費やしてきたと思う。
問題って書いたのは冗談のつもりで書いたけど、
問題かのように自分が取り扱ってきたと、書いてみてすごく納得する。
みなさんいろいろと問題を抱えていると思う。
わたしにも問題がある。
そして、なにかを問題としていることが、一番の問題だと思うことがある。
問題とは、なにかを妨げているもの・道を塞いでいるものというような認識で、
その問題が解決すれば、楽になる、スムーズにことが進むというように捉えている人が多いと思う。
それは本当に妨害してるんだろうか、邪魔なものなんだろうか。
それを触ってみて匂いを嗅いでみて音を聞いてみたら、自分はどんな反応を起こすんだろう?
知ろうとしないで、ただ闇雲に嫌なものと決めつけているだけかもしれない。
問題は実際にあるかもしれない。
でも問題だと思っていることの中に、本当の問題はどれだけあるのかな。
問題としていること、
問題を解決しようとしていること。
このことの方が、余計に問題だったりして。
問題とは解けるもの、答えがあるもの、解決するもの。
その考え方が、今あると思っている問題を問題として存在させているのかもしれない。
「なにが問題なの?」と尋ねてみる。
すると、それが与えている影響とか、いろんな意見が出てくる。
問題であることの証拠が出てくる。
尋ねたことで、問題と思っていたけど問題じゃなかったわって、問題自体が消えることもあると思う。
尋ね方を変えてみる。
「それは本当に問題なの?」
問題ではなく、「問い」だと気づくことがあるかもしれない。
問いとはなんだろう。
問いとは、松明のようなものだと思う。
解決すべきものじゃなくて、問いこそが答え。
この生に必要不可欠なもの。
大切ななにかを照らしてくれるもの。その問いそのものが大切ななにか。
想像しているような今までのような答えを持っていないもの。
でもそれは答えがないということじゃなくて、ただ今までの解き方では解けないだけ。思っているような答えではないだけ。
ないのではなくて、今までの答えという言葉やイメージには収まらないというだけ。
温かく、暗闇に光をもたらす松明。
松明とはなんだろう。
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