自分を愛するとか、自己受容とか、目にしたり聞いたりすると思う。
少し前は、スピリチュアルとそうでないもの、みたいに分かれてる感じがあったけど、
今はその分かれた感じがどんどんなくなってきているように見える。
それはわたし自身が変化してるっていうのきっと関係してるとは思うけども。
自分を愛する、自分を受け容れる、こういった言葉や考え方とか在り方とか、
今は、いろんな場所でいろんな人が話して書いていて、
以前は、いわゆるスピリチュアルに興味ある人たちだけが話してるような印象だった。
自分を愛でるっていうのは、自分を面白がることだなと感じてる。
嫌なところも含めて、わたしなの!みたいなのを自己受容みたいに言われることもあるけど、なんか無理しなきゃってかんじ。
今はイヤ、ただそれだけのことだよね。
全部好き、全て受け容れてる、そんな自分になることを期待するより、今の自分の正直な感覚を知ってる方が大切。
それは自然と変化していくだろう。
面白がるって、実はすごく受容的だなと。
自分のいろいろと出会って、それを自分が面白がって、それと、それで、遊ぶみたいな。
それは自分ひとりでできる。もちろんだれかと一緒でも遊べるんだけど、
思春期の子がキャーキャーと人の注目を集めずにはいられないようなものとはちがって、
自分が楽しんでる、面白がってることが、遊び。
笑いも泣きも、動きのない遊びも、はげしいものも、いろんな遊び。人によってもさまざま。
遊ぶとエネルギーがわいてくる。満足感でみたされる。
小さいころを思い出すと、遊びってそうゆうものだった。
外から見たら、なにしてんの??それおもろいん?ってことも、その人たちをその遊びに誘うことはしても、
その遊びがいかに面白くて素晴らしいか解説なんてしなかったもん。
ただ自分が楽しい。面白い。時に無我夢中。
それが遊びで、そのスペースを自分に与えることって、すごいご褒美だ。
そういえば、最近遊んでないわという人、
このセッションでエネルギーを充填してみては?
身体ぜんぶに呼吸を入れよう。
今回はチャクラブリージング瞑想