自分自身であることの安心感。
今この瞬間に意識を合わせれば、
足りないものはなにもなく、余分なものもなにもない、
かといって、十分にスペースはある。
言葉は発する者、受け取る者によって、それぞれの意味や解釈があります。
ある人が褒める気持ちで使った言葉が、その言葉を向けた側にとってはそうでないとか、
会話の中で同じ単語を使っていても、それぞれ微妙に違う解釈だったり、全く違う意味で使っていることもある。
もしそれをそのまま続けていれば、
意味も解釈も異なっていることがわからず、
会話してるようで実は会話になっていない。
会話ではなく、それぞれが独り言を言ってるみたいな状態、
オーバーではなく、そうゆうことはよく起こっているようにかんじます。
そして、そもそも自分の使っている言葉を自分が理解しているんだろうか、
という疑問もわいてくる。
独り言ではなく、
会話ーコミュニケーションが起こるのは・・
興味や関心、好奇心、
それはコミュニケーションの要素の一つだと思う。
知りたいという気持ち。
コミュニケーションって、
会話が弾んでいるとか、逆に(ある人にとっては)気まずい沈黙がないとか、
そうゆう枠のようなものは関わりないと思う。
コミュ障といわれるのも、そんなカテゴリーの中で区別されてる。
人見知りするからコミュニケーションが下手、なんてことはないよね。
喋りすぎる人は、目の前にいる人とも、自分自身ともつながってる感じがしない、
それではコミュニケーションは起こらないだろうし、もしかしたらなにかを避けているのかもしれない。
会話であれ、
絵を描くであれ、
なにか表現するとき、
内側ー今なにを感じて、どんな考えや言葉が起こって、身体にどんなことがあるのかーとのコミュニケートなしでは、
なにか虚しいコミュニケーションになると思います。
内側とのコミュニケートは、
観ること
覚めていること
ニュートラル
が助けになる。
『be』workshopでは、
自分自身と、目の前にいる人と、共にあること。
それは些細なことに聞こえますが、変容の入り口です。
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