風が強くて、久しぶりにとても寒い名古屋。
あなたの住む場所ではどうでしょうか。

 

いろんなことが当たり前で当然で、当然とすら思うこともなく、まだ足りないと何かを欲しがってる時と、
今あるすべてが有難いと感じる時と、その両方の時間を体験する。

 

自分のある部分。
ある時は大っ嫌いで気に入らなくて、
ある時はそれがものすごい才能みたいに感じたりして。

ある部分だけにとどまらず、
自分自身を好きと嫌いを行ったり来たりしてるかもしれない。

 

わたしたちは誰かに嫌われるのがどうして嫌なんだろう、怖いんだろうか。
そんなことを一切気にしない人もいるのかもしれない。
気にしないふりをして、嫌われたって平気と言ってる人もいるよね。

 

自分のことを嫌っている誰かがいるとして、
その嫌ってる誰かの仲間に自分がいる。
その誰かと同じように、自分が自分のことを嫌う。
自分を嫌うってそうゆうような状況だとして、
その状態を想像してみたら、
とても痛いと感じた、そしてめちゃ怖い。
嫌われるのが怖いのは、自分が自分を嫌っていることの怖さなのかもしれないな。

 

自分を嫌いな時というのは、まともな時ではない。
正気である時、わたしたちは自分のことを嫌うことはない。
少なくともわたしは、正気な時に、自分を嫌ってはいないし、盛り上がって大好きとも思っていない。

嫌っている時というのは、嫌っている外側の誰かと一体になっている時。
そしてそれは、今実際にはいないことがほとんど。

嫌いにならないようにするより、好きになろうとするより、
それより大事なことは、
正気にもどること。

 

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