10月前半は、Awareness Intensive サトリのアシスタントとして広島に、
半ばからは軽井沢にて、表現アートセラピーのBODYと癒しに関するテーマのグループのサポートとして、その後数日はたくさん遊んで、帰ってきてからは、ウーヌスにて個人セッションをして、
そんなふうに盛りだくさんの10月。
どれもほんとにすごく素晴らしいものでした。

 

で、今、書いていて気づいたんですけど、
自分が素晴らしい時間を過ごしたと表現することに、
とても心地悪いかんじとか罪悪感みたいなものを感じていることに。

そんなのだれも興味持たないし、
つらかったとか、大変だったとか、そっちの方がみんな知りたがるだろうし、
あんたの自慢話は聞きたくないし、
とか、いろんな言葉や考えがうようよとあらわれ出てくる。

街中でひとりで笑っている人を見ると、気持ち悪いと怖がるけれど、
ひとりで泣いてる人を見て怖がる人は、ほとんどいない。
Oshoはそんなことを言っていますが、
人って至福に満ちてる人を気が狂っていると捉えて、
嘆いている人をどこか当然のように見る傾向がある。
その見方が、ほんとは狂気なのかもしれない。

 

「あたりまえ」
これを見直すことって大事ですよね。
当然だし、常識でしょ、そんなふうにやり過ごしていると、大切なことに気づけません。
あなたのその大切な人は、そばに居て当然ですか?
それをして当然、それをしないのは常識、だいたいそんなもの、できて当たり前、
知らなくても困らない、そんなものが山のようにある。
普段使っている言葉も、わたしたちは自分としての理解をもっていないことが多い。

 

ほんとうにあたりまえなの?
それって本当?
疑問や問いかけを内側へ投げかける。
自分に尋ねてみたことはありますか?

その問いかけは感じることの助けになります。
感じることは、自分を知りたい人にとっては、なくてはならないもの。

 

自分が体験したことは、血となり肉となる、わたしはそんなふうに感じています。
それがとても些細なことのように思えたとしても、その時の匂いや感触など五感を通してあじわったものは、今でもわたしの中にあり、それのおかげでこうやってみなさんにシェアすることができている。

なにかを学ぶ時にも、素直にそのやり方をやってみますが、それは受け身というより能動的です。
自分の感性、六感をフルに開いて体験します。

そうやっているうちに、わたしは自分自身への信頼を強くしていったのだと思う。
そして、「感じること」「身体からはじめよう」とおすすめしているのは、その体験からきています。

 

考えることは、もう既に十分すぎるほど多くの人がやっています。
でも感じることは、苦手な人が多い。
感じるって、どこか曖昧なのですよ。
それは白か黒かの世界ではないから。
グレーが含まれてる。濃いグレーも薄いグレーも。
あれもあるし、これもある、感じるというのはそうゆう世界。

それがはっきりと解るみたいに強くクリアに感じるというのもありますが、
正解か間違いのどちらかしかないというのではない気がしています。
そしてそれが、感じることに苦手意識を持つ人たちが、感じることから遠ざかる部分の理由なのかもと思います。

曖昧という言い方をしましたが、今は正解か間違いかわからなくても、それはその場でははっきりとしなくても、長い目で見ればどうなるかわからない。
白黒を今はっきりとさせたい時というのは、全体を見ることはむずかしい。

 

こうすれば大丈夫、これさえあれば大丈夫、というものがどんどん無くなってきている今。
それは、ある人には恐怖で、ある人にとってはホッとする。

感じるって、ほーんとに人それぞれ。だから、それがあなたの松明ートーチになる。
あなたはその松明で暗闇を散らして歩くことができるのです。

 

ニュートラルワークショップにて会いましょう!
ここは、体験の場です。

11月16日17日 ニュートラルワークショップ

 

今ここにつながる、おすすめセッション

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なにか特定のテーマや問題を観たい方は、
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